誇り。
自分の感じない、考えないことに触れるのは、とても興味深くもあるし。面白いなって思う。
けれど、自分の世界しか受け付けられない、自分しか興味がないと言われたら、共に生きていくのは、なかなか難しいのかなぁと思う。。
楽しみながら、興味をもちながら、反発しながら、文句を言いながらも、お互いを認めているのと。
理解を示すようで、実は、無関心だけなのは。
意味が全く変わってきてしまう。。
無関心は、平和ではなく、破綻の上に静かに立っているようなもの。
楽しんでいれば、時には心がざわざわしたり、モヤモヤしたり、疑問や不安もあったりもする。
鼓動が波打つように。
私たちは生かされながら感じている。
自分の全てを語るが良しとは思わない。
語ってもらえれば良しとも思わない。
「誇り」という意味のプライドを大事にした上でなければ。
それは「見栄」とか「虚勢」とは違って。
それぞれの自分自身の「誇り」
自分自身の弱さも、ダメなとこも、、誇りを持って受け入れていけば。
相手の「誇り」も大切に想える。
人は簡単には変われない、けど気づくことも出来るし、やり直す事もできる。
台風の目の中に閉じ籠ってても。嵐は去らない。更なる災難に巻き込まれてしまうだけ。
泣いたり怒ったり失敗したり。転んで転がりつづけたって。
笑って起き上がればいいよね。
勘違いや誤解やすれ違いも、ちょっとしたことで笑い話になったりするように。
自分自身の「誇り」大事にしていけますように。