例えば恋愛論ならば。
例えば目の前に。
乗り越えなければならない大きな岩山があって。
その岩山は、越えるのが困難なだけではなく。
得体のしれないたくさんの魔物の噂も飛び交っていて。
得体がしれないものって、不安感から恐怖感をうえつけてゆくから。
ますます生まれる恐怖は。実は自分で勝手に生み出したものなんだけど。それには気づかずにひたすら怯えはじめ。
一歩を踏み出せなくなる。
岩山の向こうにあるものも分からない。
乗り越えた先にあるものが何にも分からない。
気がつくと。
見返りを求め始め、探しはじめる。
あの山を越えて、何になる?
岩山の麓には、穏やかなお茶屋さんがあるとして。
別にわざわざそんなシンドイ想いをしなくてもいいじゃないかと。
なーんにもしなくてよいんですよ
なんにもしないのがいちばんです
と、優しいふりをして実は、一番恐ろしい声をかけてくる。偽りの平和を見せかけて。力を奪い。無気力、無関心、無感動にさせながら。
自分だけが傷つかない方法をささやき続ける。
岩山の向こう側にあるものより
岩山を越えようとする一歩と
越えてる過程の景色が。
ほんとはとても大切だってこと
見失わせる。
あらゆる光の中でも闇の中でも
手を繋いで
乗り越えながら
いろいろな景色を一緒にみてゆくことが
笑顔のもとになると分かっていても。
得体の知れない恐怖や偽りの平和にはなかなか打ち勝てない。
手をつないで
心も身体もつながったら 、生まれる力は、きっと無限大なのだけど。
互いが
海になり 魚になり
空になり 鳥になり
大地になり 虫になり
風になり 花になり
共に互いを生かしあって。いけたらいいのにね。
男女の恋愛は
非力なのだろうか
いろいろ想う今日この頃。
非常にわかりにくい表現でごめんなさい(笑)