ココロのスケッチ

絵を描くように綴りたいです。

空と雑草の会話のごとく。

これでいいということはないなあと
改めて思う今日この頃。


心配も工夫もどんな現場も共通だと思うけど、慎重になり過ぎていいくらいだと思っている。


けれどずっと籠ってるわけにはいかない。


自分も周りもいつどうなってるかわからない。

それはウイルスに限らないけど。

 

 

生きるために。
生きてもらうために。

 

結局どう生きたいか、、生きるか、、

なのだけど。

 


後悔ってある程度の年齢を重ねると
大なり小なり出てくる気がする。


反省しても後悔なく、と思っていても。

悔いることは出てきてしまう。


その時の自分の選択には納得してても、、

誰かに迷惑かけてきたことはあるし、
嫌な思いをさせてしまったこともある。逆ももちろん。

 


人と関わってる限り。

 

みんな違うのだから。

 


だからせめて伝えていこう、
私なんぞの小さな呟きは世の中からしたら、

砂の粒みたいなもんだろうけど。

 


せっかくだから、
みつけたら、誰かが笑ってくれる星の砂の一粒になりたいな。

 


決してネガティブな意味だけではないのだけど
一見ネガティブも伝えていく。

 

 

 

今まで私に関わってくださった皆様に感謝をこめながら。

これからご縁が繋がるかもしれない皆様と逢える日を希望にして。

 


あえて言う。

いつか、の保証はない。

 


けれど、いつか、また、と信じる。


それは、誰かに自分の想いを伝え、
託すことで、きっと。

 

 

そんなわけで

ちょっと前に投稿したものも加えておく。

諦めていくことを知ったと書いてるけど、諦めてはいない(笑)

 


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私は将来的に稽古場付きのシェアハウスをやりながら、ばあちゃん劇場主になるのが夢だった。

 

 

理想の形を追求しちゃうと資産家にならないと難しいと思いながらも私にお金を増やす才能は皆無。

 

けれど模索しながらやれるんじゃないかと思って働いてた。

 

 

今年になって諦めていくことを知った。

 

生きるとは。。

 


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自粛中に映画 150本以上観たよ。

情けないほど気力がわかなくて。
映画の世界に救われてた。

 

 

 

小学生の頃に舞台に救われて

演劇をやりたいと想うようになったっけ。

 

 

 

私はいらない人間。

 

 

そう想ってしまうから
想いたくなかったから何かを何かで繋げたかった。

 

 

私自身が無力でも。

 

繋げる役割はできるんじゃないかって。

 

 

 

 

いま じぶんのちからのなさが なさけなく
そしてもしかしたらはじめて
たちあがれないかもとおもっている

 

なんどへこんでも
はいあがってこれたのはなぜか

 

それはきっと
どんなにしんどくても
たねをまけば
そのつづきがだれかにつながり

 

いつかだれかが
それをみてわらってくれるとしんじていたから

 

 

 

そんな種 必要ないよ


そういうニュアンスのことを過去に何度も言われたこともあったけど、特に挫けなかった。

私は案外その辺は図太かった。

 

 

何故なら、みんな違うから。


それがいいと思ってたから。

 

変な種を植えたいと思ってたから。

 

必要か必要じゃないかは己で決めると思っていたから。

 

でもその己が今は。。

 

 

 

 

んん?
もしかして私 台本執筆モードに来てるのかしら

 

 

執筆しようとすると
情勢の事やなんやかんやを考えてしまい
どうしてもしんどくてキツくて吐きそうで苦しかったのに

 

 

もしかしたら
執筆スイッチが入ったのかしら

 

 

 

 

例え 結果が どうなろうとも