あのころ。
最近ウトウトとした時も。懐かしい夢をみます。
なに?私の中で何が起きてるの?大体が、自分がえっちら動き回っていたころの出来事の夢。
今でもみんなあらゆる場面で活躍中なんだろうなと思う。元気かな。
10代、20代前半の頃の芝居関係者とは、今はほとんど縁がなくなり寂しかったりします(>_<)
私は名前を変えすぎ?引越しすぎ?(笑)
一人暮らしをはじめたばかりの頃、通っていた俳優学校の帰り道。
私がバイトしてたケーキ屋さんの二階が喫茶店だったので、みんなが寄ってくれて。
俳優学校の仲間はみんな歳上で。私からしたら、おしゃれな都会のお兄さんお姉さん。
そのお兄さんお姉さんが、ニコヤカに社員さんたちに対応、挨拶してくれたので、毎日緊張しっぱなしのバイト先に、それがきっかけでかなり馴染ませてもらった。
嬉しかったな。
切磋琢磨するような時や現場でもあったので、熱い演劇論で、場がヒートアップして目の前でケンカとかしばしば。
私はその頃から情けないくらいに、討論が苦手というか。
みんなの話を聴いてるのも楽しかったので聴く派。
だから飲み会とかも、あれ?いたの?っていう存在だった。でも会計やってんだけど(笑)
俳優学校を修了する時にやっと話せた人もいるくらいの社交性のなさ。
なさけない。
みれど もっと 前に出なよ
みれちゃん ダメだよ
もっと積極的にならなきゃ
そんな声が今でも聞こえてくる。
それから養成所や新劇の劇団や小劇場、いろいろな出会いや経験をたくさんたくさんさせてもらった。
私は今でも消極的なままなんだけど。
あの日、あの時のみんなの語らいは、かなり力になっていると思う。
そして自分を救ってもらった表現という世界で、表現していたいという想いで。まだここにいる。
感謝をこめながら。
伝えていきたいと思いながら。
自分がいなくなっても。継がれていけるものがあるように。
幸い。私は今でも仲間に恵まれている。ありがたい。
ひとりじゃできないからこそ。ひとりひとりがありがたい。
みんな 今は どうしてるんだろうな
今日は台本執筆をずっとしていて、渥美先生の追悼公演に行けなかったからかな。
コヂのライブも行けずにごめん。
こんな日は特に、いい作品を創って。報いたいと思うんだ。
あと数時間で仕事いく支度だけど(T_T)