大我の愛。
見返りをもとめない無償の愛のことだそうです。
相手の痛みは自分の痛みであり、相手の幸せが心から自分の喜びだったりする。
その逆?というか、まず自分が先行なのが
「小我の愛」だそうだ。
でも思うに。
人は両方をあわせ持つんじゃないかなあ。
時と場合により自然にバランスとれてたらベストかも?
誰もが「大我の愛」はもってると思う。
相手が幸せなら私も幸せだという気持ちは真実じゃないかな。
誰もが思うはず。
君が笑っててくれたら嬉しい。
ってね。
でも寂しい時には、ほんの少しだけ考えてしまうものかもしれない。
見返りを望んでいるわけじゃなく、物質的に満たされたいわけじゃなく。
自分の希望通りに相手にして欲しいというわけじゃなく。
精進が足りないと言われたらそれまでだけど(笑)
ただ。
ココロに触れて欲しいと想う時もあるんじゃないかな。
それは見返りではなくて。
愛によって愛を知る、
というしf^_^;
ココロに触れなくなり
カラダに触れなくなり
相手に負担をかけたくないからと、マイナスな話題は避けるようになり。
近況を話すのも面倒になり。
気がついたらズレてしまうのかもしれない。
一緒にいれなくても触れることは出来る。
逆に一緒にいたからといって、心が伝わるわけじゃない。
馴れてるから、
コツや対処がわかってるから、
楽だから錯覚してるだけのこともあるのかもしれない。
安心と無関心は、別ジャンルな癖に、紙一重でそばにいる。
私はもめごとは苦手。
まして恋愛やらなんやらにカロリーを使うのも苦手。
私にとって
大我の愛は、一度履き違えてしまったらとても。
楽な表現に近い。
あ、もちろん
履き違えたら、です(^_^;)
だから
バランスって難しい。
でも一番後悔しそうなのは。
言わないですれ違って
プレートみたいに少しずつズレて。
突然の地震みたいに。
突如
揺れて崩れていくことだろうな。
キモチのズレはすぐに気づけば治せる。
ただそれは疲れることだから
それこそ、本当に
相手を思えばこそだから
「大我の愛」から生まれるのかもしれない。
なあんて
朝から難しいこと書いてるけど(笑)
基本はお気楽ごくらくです(≧ε≦)