ココロのスケッチ

絵を描くように綴りたいです。

久光真央とワタシと奥底にいる私。

1泊2日の合宿稽古が終了しました。

毎回、毎回、、
合宿から帰る度に。

己の演出技量はもちろん、
導き方の無さ、ある意味、リーダーシップの無さに落ち込むのですが。。

今回もいつも以上に凹みました。

1日目は、パフォーマンス稽古と抜き稽古、荒通し。

2日目は、パフォーマンス稽古、ある場面の抜き稽古を1回、そしてパフォーマンス稽古。

みんなほんとに真面目で一生懸命でひたむき。努力家。

生徒と先生なら、
指導に徹すれば手応えも感じるくらい真面目に取り組んでくれます。

だけど。
私はこの現場では先生じゃないから。

純粋に共にモノヅクリを楽しみたい。

けれど、人間いろんなタイプがあるように、小劇場の役者だって、いろんなタイプがいる。

以下は、稽古場では伝えなきゃいけないときに、無理して、伝えることです。

言うのも
聞くのも
面白くもなんともない話です。

でも今回の私の落ち込みは

作演出としての。
落ち込みなので。

なんとか
自分自身も変わりたい。

だから言いたくないことを
伝えます。

私は

真面目なひとの気持ちがよくわかります。

感情を伝えるのが苦手な気持ちがよくわかります。

私も揉め事が苦手なので、
ハッキリモノを言えない気持ちがよくわかります。

出来るなら、みんなには楽しく笑っててほしいので、
余計なことを言わなければ、
上っ面だけでも平和なこともよくわかります。

伝えること、そのしんどさと

伝えてもらったあとの傷みと
伝えたあとの傷みがよくわかります。

そうです。両者の傷みがよくわかります。

伝えてもらって、たくさん痛い思いもしました。

やりすごしたいと思ったこともありました。

伝えたい、そう思いながらも

相手が傷つくんじゃないかと思うと伝えられなかったり、
平和が崩れるのが嫌だったり、
自分なんかが伝えても、おこがましいだけだと思うこともありました。

それは、一見。

周りを思う振りをして、相手を気遣うふりをして、面倒なことになりたくなくて、よく思われたくて
自分が傷つきたくないだけでした。

それを周りや相手を思いやる姿勢に、錯覚してただけでした。

もちろん、それでいい現場もあります。
それでいい付き合いもあります。

本当に
本当に
相手を思い。

相手の笑顔を
周りに楽しんでもらいたいと
伝えてもらったことを
伝えたいと思うならば

自分から発信するものも必要。

自分が痛みを伴っても。
発言しなければならない。

私の選んだ居場所はそんな場所でした。

劣等感、コンプレックス、自己卑下。
でも周りの笑顔が好き。

そんな私が。
作演出という、
自分には全く全く
不向きな場所を選んでしまった。

解放できない気持ちがよくわかります。

出来ない気持ちがよくわかります。

頑張っても頑張っても、出来ない気持ちが何よりわかります。

劣等感。恐らく、誰よりもしっています。
しかも私の劣等感には悔しさはなく、自己卑下しかないもんだから最低です。

だから
だから
思うのですよ。

みんなが頑張ってるのはわかるから、思うのですよ。
私もそうだったから思うのです。

表現世界では、、
頑張ってるだけじゃ、ダメなんです。
真面目なだけではダメなんです。

頑張るベクトル。
それぞれの引き出し。
探求する何か。

それぞれみんな違う。

引き出しを増やすのは簡単じゃないから。

でもせっかく。

板の上に生きれるならば。

素の自分は大切にしてほしい。
そして
その上で。

板の上にたつときの、
引き出しをたくさん生み出さねば。

コンプレックスは武器になる。

コンプレックスをさらけだすことが武器ではないですよ。

傷つかなければ生きられない、わけじゃない。

だけど
真面目な人は。

取り組む姿勢が変わらないと。

たぶんこれからスゴく辛い。

私は素の自分は稽古場では、
しまいこんでます。

わざと引っ張り出すことはありますが、基本、しまいこんでます。

いや。しまいこまないと、稽古が出来ないくらい、私の劣等感は半端ないのです。

だから稽古場で出来なくて泣いたことはないし、
悔しくなったこともないし、
周りと比べて凹んだこともないです。

周りと比べるなんておこがましくて、
考えられないくらい、私は劣等感に溢れてるのです。

真面目な人は。
素の自分を、稽古場で時折、出してしまいます。

表情に
姿勢に
意識に
発言に
行動に

全身に

それは
いろんな現場で、
更に更に
何かを高めようと思ったら辛いと思います。

余計、傷つくと思います。

高めなくてもよくて、
いろんな現場に行かないなら大丈夫です。

劣等感だらけの私が
作演出をやっていること。

私自身、
例えば身近に魅力的な劇団や
素敵な演出家さんがたくさんいますから。

メンバーが増える劇団が羨ましいし、
それは人数が増えたことが羨ましいのじゃなく(笑)あと、打算とかは別として。

代表として、
作演出として

メンバーとして
共にモノヅクリをしたい。

純粋にそう思ってもらえることが羨ましいのです。

私は、
まだまだです。

でもお芝居が大好きだし

モノヅクリの傷みを
モノヅクリにともなう自分の奥底との距離感を自覚しても

お芝居がやりたくて
まいにち
痛い思いをしています。

それは伝えたいことがあるからで。

伝えたいからやっている。

ただそれだけで。

伝えたい。
そう思うならば

私は傷みを避けてはダメだし

苦手をやらないわけにはいかない。

かといって、
素の自分で、いれるわけがない。

素の自分が苦手を克服するには?
素の自分を出したまま、克服なんか出来ないんです。

昨日。稽古場で
伝えるあまり

なんて伝えていいかわからなくなり

真面目なみんなをみていたら
頑張ってるみんなをみていたら
なんとかしたいと思いながらも

その方向には辛さしかないよ、と
伝えたいあまり

素の自分が出てきてしまったら

ほんとにどうやって伝えていいかわからなくなり。

言葉がふえ

みんなの反応に怯え

更に言葉がふえ、
伝えたいことはあれど
何をゆったらよいか分からなくなりました。

だって作演出に不向きな私です。
代表なんか、やれない私です。

けど、
やらせてもらってるんです。

なので。

みんながスゴく怖くなってしまい。

慌てて

久光真央を引っ張り出して

久光真央の言葉や言い方を借りたりしたら

素の自分が、抵抗してしまい。

初めて、初めてですよ。

お芝居を始めてから、
28年間で初めて。

稽古場で。
泣きたくなってしまい。

泣かなかったけど(笑)
私は泣けない。

泣いてはいけない立場だし、

人生、
いろんなことがありすぎて
泣けなくなってしまったのもあるから。

けど我慢してもあふれる想いはあり。

あふれる想いは
涙ではなく

別の形で何かに変わる。

だから素直に泣いたりした方がよいのだと、
改めて思います。その方が素敵です。

その方が健康で、

みんなにもそうなってほしい。

私みたいにならないでほしい。

もちろんそれも人それぞれだけれど。

私みたいなタイプは、
私みたいにならないように、
ワタシを生み出し
引き出しを増やしてほしい。

私は
伝えたいことがあるから伝えるために

また、
久光真央を演じます。

でも

久光真央が嫌になるときがあります。

奥底の自分が、
叫び出します。

けど、また、
息をすって
はいて、
久光真央になる。

たくさんの命を失いました。

たくさんの心に出逢いました。

仕事を通して
たくさんの嘘をしりました。

だけど。だから。

ハグハグ共和国
久光真央は

必要とされてないかもしれない。

だけど。

私があの頃
救われたように

私が必要なのです。

みんなが必要なのです。      





感謝をこめて。




今回のワタシルールを違反したブログをアップすることは、
ワタシにとっては闘いです。


闘わねばならなくて
悲鳴をあげてるワタシに

更に

塩をぬる行為。





ワタシは変わりたい。


でもなかなか変われなくて。

変われなくて
みんなに迷惑かけていると思うならば


ワタシが変わることが

みんなが心底
楽しんでくれるようになるのではないか。


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恩返ししたい。

出逢った

命に
心に




でも私は、
何も出来ないから



私の細胞をつくりかえるくらいの気持ちで
挑みます。

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